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自己紹介

昭和49年(1974)新潟県長岡市の長岡商工会議所創立70周年を記念して、当時、NHK交響楽団常任指揮者の外山雄三氏に依頼し製作されました。 曲名は長岡市民に愛されているお山「悠久山」にちなみ、永く久しく愛され永遠に継承されるよう命名されました。 この悠久太鼓を伝承し継承していくために最初に結成されたチームが青悠会です。 その後、悠久太鼓連合会を結成し、今では11団体:約200人が悠久太鼓を演奏します。 さらに長岡市の姉妹都市であるアメリカ:フォートワース市、ドイツ:トリアー市に訪問し、現地の人に和太鼓を指導し、現地に青悠会の太鼓チーム仲間ができました。 また、2001年の長岡まつりではフォートワース・トリアー・長岡の3国合同で和太鼓演奏をすることができ、名実共に長岡を代表する太鼓に成長しました。 そして2010年春、光悠会は結成されました。小学生~高校生のメンバーが悠久太鼓を継承すべく、日々青悠会と共に演奏活動を行っています。和太鼓を「道」と考え、光悠会は和太鼓以上に挨拶・返事などに重点をおき、青少年の健全・育成を基に活動しています。 長岡青悠会は悠久太鼓を永遠に保存・伝承・継承するために年間を通して活動し、さらに伝統保存だけでなく、今の時代の流れに応じた創作や打法、表現、演出法なども取り入れながら演奏活動を続けています。

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青悠会・光悠会 動画

2012年3月18日日曜日

石巻2日目

震災復興支援演奏会が終わり、翌日は少し海岸沿いを
移動してみました

震災から1年・・・


とにかくガレキが多いです
ものすごい量です(>_<)


 

車もそのまま積み重ねられたままでした・・・

想像を絶する量です

ようやく最近、他県で受け入れる県が出てきました
この瓦礫が復興の妨げになっている事は確かです
まだまだ、取り壊していない建物がある中で
これから先も多くの瓦礫が発生するでしょう

一丸となって協力する時なのではないでしょうか?


日和大橋近くでは・・・・・




巨大缶詰です!
よく聞いていましたが、本当に実物は大きいです
これが津波で流されてきたとは・・


海岸沿いを女川方面へと行ってみました



女川では未だに建物が倒壊し横たわっていました


壊滅的な感じです・・・
早い復興を願わずにはいられません


車を止めればいたるところでお線香・お花が見受けられます
たくさんの人が亡くなられたのがわかります


私たちもお線香・お花を持参し
みんなで手を合わせました

何か悲しい・・・悔しい・・・切ない・・・思いが・・・

涙が止まりませんでした


雄勝もまた、壊滅的な状況でした



雄勝中学校です

津波で太鼓が流され、古タイヤを大鼓代わりに演奏している姿が
テレビでよく放送されてましたね
確か?この頃ドイツに招待されていたと思います


壊れた建物の多くは、かなり取り壊されていましたが
まだ、取り壊しが進んでいない建物も多くある状況でした

しかし・・・
あちらこちらで、前に進んで行くための
意気込みも感じられました!


ここでは、少しお買いものをしました


・ふっかつ・ぜったい勝つ!!


さらに海岸沿いを走って大川小学校へ



大川小学校です

たくさんの子供たちが津波で亡くなりました
壊滅的な状態の小学校を見て愕然としました



ジュニア光悠会も小学生が12人います
この子達と同じ歳の子供たちが・・・と思うと
切な過ぎて涙が止まりません・・・

青悠会メンバーもジュニア光悠会の子供たちも
お花とお線香をあげ手を合わせました
涙・涙・です・・・



震災前の写真が隣に飾ってありました
学校の裏手に隣接するように住宅がたくさんあったようです
しかしこの時は跡形もありません・・・

あまりの衝撃で言葉がみつかりません

ただ、たくさんの方々が次から次へと
お線香・お花を持って、ここを訪れていました


石巻市立 大川小学校



子まもり


今回見てきたところはほんのわずかです
1月には福島も行ってきましたが
この状況、今見てきた事、聞いた事を
しっかりと伝えなければいけないと思いました

しかし頭の中で整理がつきません
話そう!伝えよう!と思っても
涙ぐみ・言葉に詰まります・・・

でも伝えなければいけないのです

今回たくさんの人たちと出会い
そしてたくさんお話を聞くことができました

これを伝えないわけにはいきません

それが震災の地を訪れた者の義務だと思います

一日でも早い復興を願って・・・

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